「こうのとり2号機 打ち上げ見学」報告



 それはまさに「夢」のよう・・・、今でも現実だったのかどうか、少し信じられないような気がします。

日本宇宙少年団 鳥取アストロ分団


 鳥取市さじアストロパークを拠点に活動をおこなう「日本宇宙少年団鳥取アストロ分団」では、2011年1月22日(土)に種子島宇宙センターから打ち上げられた「こうのとり(HTV)2号機」の打ち上げ見学をおこないました。

 「日本宇宙少年団(YAC ヤック)」は宇宙飛行士の毛利衛さんが団長、漫画家の松本零士さんが理事長を務める全国組織で、全国に125の分団があります。その1つの「鳥取アストロ分団」は鳥取県内唯一の分団で、23名の団員とその保護者が毎月1回程度、宇宙や科学をテーマにした活動をおこなっています。

 ことの始まりは、今から2年前の2009年1月のこと。YAC鳥取アストロ分団員の清末万里子さん(当時、小学6年生)がYAC本部の企画した「宇宙記者」に応募し見事に選ばれ、種子島で本物のロケット打ち上げを見学したことでした。これをきっかけにYAC本部イベントで種子島や筑波に行く団員が何人か出てくるなど、これまでにない盛り上がりを見せるようになりました。また、そんな子どもたちを応援する保護者のみなさんの協力もあり、いつしか「YAC活動で種子島へロケット打ち上げを見に行く」ことが目標になりました。

 それに影響を受けた私(織部)は、2009年9月11日にあったYACリーダー(指導者)を対象にした「HTV初号機」の宇宙記者に応募し、運よく打ち上げを見ることができました。テレビなどで見る打ち上げと、本物の違いに驚き(ものすごい音と光!その時の映像はこちら 約6MB)、「本物の打ち上げを子どもたちに見せれば、人生を変えるような一生の記憶になるかもしれない」という気持ちを強くしました。

 その後、2010年5月には金星探査機「あかつき」の打ち上げが、9月には「みちびき」の打ち上げがありましたが、仕事の都合などもあり、ロケット打ち上げ見学を企画することはできませんでした。冬に「HTV2号機」が打ち上げることはわかっていましたので、そこを目標に見学ツアーを組もうと思っていましたが、12月になってもなかなか具体的な日程や行程、参加費などをYAC団員のみなさんにお伝えすることができませんでした。ずるずると日にちが過ぎ去ったある日、高橋リーダーから電話がありました。「種子島へ打ち上げ見学に行くツアーの状況はどうですか?」私としてはずーっと気になっていながら、忙しいことを理由に後回しにし続けていたので、その問いには少しドキッとさせられましたが、「ぜひやりたいと思います」とお返事して電話を切りました。「やはりきちんと企画せねば」と気持ちを切り替えて、12月下旬になってやっと計画を練り始め、年末近くになって団員の皆さんに募集をかけました。

 しかし、参加希望の正式な連絡は高橋リーダーのお家からしかなく、当初は「高橋さん家と私で行きましょうか」というような話をしていました。状況が動いたのは、1月5日(水)にYAC本部から宇宙記者の募集があってからです。鳥取アストロ分団からも何人かが応募し、残念ながら選ばれませんでした。すると、以前に鳥取アストロ分団に所属し、現在は近くに分団がないため、YAC本部に所属している三好晃主(あもん)くんのお母さんから連絡がありました。「晃主くんが宇宙記者に選ばれたが、早朝の鹿児島港に間に合う交通手段がないので、鳥取のツアーに同乗させてほしい」というものでした。これで高橋さん家3人、私、三好さん家2人となりました。

 ちょうどそのころ、高橋リーダーが「このツアーが公欠扱いになるよう、YAC本部から校長宛ての文書を出してもらえないか」というお願いを本部にしてくれ、YAC本部の小定さんから「ぜひ協力したい」という連絡をいただきました。そして、公欠になるならと一気に4人が参加の名乗りをあげました。

 これで定員の10名になったのですが、1月15日(土)にあったYAC活動の時に状況を知った団員から「私も行きたい」という希望がありました。12歳未満は3人で2人の扱いなので、法的には問題なさそうでしたが、シートベルト着用ができず、もし万が一の事故があった場合、保険が適用されないなどのリスクが大きいということで、最終的には10人で実施することにしました(この時も高橋リーダーからのコメントに助けられました)。

 これで参加者も決まったので、日程の最終調整や宿泊予約、参加費の計算などをおこない、参加者に連絡しました(今は電子メールで一斉送信できるので便利ですね)。予定では1月19日(水)18時に鳥取市内を出発ということで、前日18日は興奮のあまり午前3時頃まで眠ることができませんでした。

 さぁいよいよ出発という19日(水)。ドキドキして仕事も手につきません。ちょくちょくJAXAのホームページで打ち上げが延期されていないかチェックしました。13時過ぎだったか、14時過ぎだったか、はっきり覚えていませんが、ある天文台職員が「あっ、ロケット打ち上げ延期!」と叫びました。すぐJAXAのホームページを見ましたが、トップページにはまだ出ていません。「えっ、本当ですか?」と聞くと、こうのとりの特設サイトに出ているとのこと。見ると、確かにありました。「雷雲が近づく恐れがあるため、1月22日以降に延期する」この時、あせる気持ちと安心する気持ちが交錯する変な心境でした。昨夜ろくに寝ていないのに、子どもたちを車に乗せて、一晩中走り続けることに対する不安があったようです(保育園で頼まれていた竹馬が、まだできていないということもありましたが・・・)。すぐ参加者に連絡を入れ、宿泊などもキャンセルしました。

 打ち上げ延期を知った子どもたちは、一様にショックだったようで、各家庭からメールで状況が届きました。ある子は寝込んでしまい、ある子は買っていたおやつをやけ食いするなどなど。でも打ち上げがなくなったわけではありません。気を取り直して、いつ打ち上げられるか待ちました。19日中に正式な打ち上げ日時が発表されるかと思いましたが、なかなか発表されません。そんな時、ふと高橋リーダーから以前に聞いたことを思い出しました。それはロケット打ち上げを何度も見に行っているという人の話で「いつ打ち上げになるかは、鹿児島〜種子島の飛行機の予約状況を見ればわかる」というものでした。さっそく、JALのホームページで見てみると、1月22日(土)の第1〜3便がほぼ満席で、15時頃に種子島に到着する第4便は残席がたくさんありました。そこで、国際宇宙ステーションの軌道を確認すると、ちょうど15時頃に日本上空を通過しそうです。これらの状況から、打ち上げの最有力日時は1月22日(土)15時前ではないかと予想し、日程の調整をおこないました。当初の打ち上げ時刻が20日15時29分でしたから、出発時刻などを変える必要はなく、そのまま日にちをスライドさせれば良かったので調整は楽でした。

車は一路、鹿児島を目指してつき進む

 ばたばたと19日が終わり、20日(木)になりました。しかし、まだ新しい打ち上げ日時は発表されません。「もしかしたら22日打ち上げもないかも」と思い始めた20日の13時半、宇宙航空研究開発機構(JAXA ジャクサ)から「1月22日(土)14時37分57秒に打ち上げる」と発表されました。さぁ、ここからまたてんやわんや。宿泊の予約、参加者への連絡、旅行保険の再契約などをバタバタとおこないました。しかし、1つ問題がありました。借りる予定にしていた地元企業の10人乗り自動車が23日(日)に先約があり、借りることができなくなったのです。高橋リーダーがさっそく鳥取市内にある10人乗りレンタカーを調べてくれ、すぐに予約を入れました。

 さぁ、いよいよ出発する21日(金)となりました。前回の反省もあり、体調を整えるため仕事を休んで午前はゆっくり過ごしました(昼寝をしようかとも思いましたが、準備でそんな余裕はありませんでした)。そして、予定通り18時からレンタカーを借りて、参加する子どもたちを迎えにまわりました。ここまではまったく驚くほど予定通り。そして、津山市の高橋さん家に向かいました。途中までは順調でしたが、高橋さん家の近くまで来て少し道が不安になり、地図を確認するために2回ほど停車しました。すでに子どもたちからは、ぶーぶーと怒られましたが、予定より15分遅れて高橋リーダー宅に到着しました。すでに、高橋リーダーが津山駅に到着した三好さん2人を連れてきていて、全員が車に乗り込んでさっそく鹿児島に向け出発しました。

関門大橋をバックに記念撮影
1月22日(土)午前1時30分頃
桜島サービスエリアで記念撮影
1月22日(土)午前6時30分頃

 車は院庄インターチェンジから中国自動車道に入り、高速道路をひた走りました。心配していた雪もなく、順調に進むことができました。旅の様子は随時、高橋リーダーがブログにアップしてくれましたので、保護者の方も状況がよくわかり安心されたことでしょう。すぐに休憩予定の大佐サービスエリアに到着。しかし、食事をするところはすでに営業を終えていて、最初の食事は自動販売機でカップラーメンやおにぎりを食べるということになりました。実は高橋リーダーが食事がもう閉まっているかもしれないことを心配されていたのですが、私が「まぁ軽食くらいはやっているでしょう」と津山市内で食料を調達せずに出発してしまったのでした。

 そんなことにめげず、さらに高速道路を進みました。22時を過ぎても、子どもたちは元気。寝る子は誰もいません。しかし、さすがに午前0時をまわると、少しづつ眠っていきました。午前1時半、中国と九州の境目「壇ノ浦」に到着。せっかくなので、関門大橋をバックにみんなで記念撮影をしました。外の風は冷たく、うたた寝をしたこともあって、すっかりと目が覚めた子どもたちは大ブレーク。車内はにぎやかとなり、午前3時には12時間ずれたおやつタイムとなりました。

 その頃、山の上に明るい星のようなものが見え始めました。最初は山の上のライトかとも思いましたが、時間とともにだんだんと昇って来たので、明けの明星・金星であることがわかりました。近くにはさそり座のアンタレスも輝き、深夜のドライブに楽しみを添えてくれました。すると、5時半頃、金星のさらに下側を明るい光が動いているのが見えました。飛行機かと思いましたが、赤い点滅がありません。どうも国際宇宙ステーションのようです。「これから打ち上げられる、こうのとり2号機はあの宇宙ステーションへ行くんだな」と思って眺めていました。奇しくも、2009年9月11日のHTV初号機の打ち上げを見に行った時の9月9日19時25分頃、山口県東部を飛ぶ飛行機の中から、北斗七星の下を通過していく宇宙ステーションを見ました。あの時も予定通りにロケットは打ち上がりましたので、今回もうまくいくのではないかという期待が高まりました。

 午前のおやつの後、さすがに子どもたちは寝ていましたが、午前6時、鹿児島の桜島サービスエリアに到着。鹿児島到着を記念して、また撮影をおこないました。だんだんと夜が明け始め、噴煙を上げる桜島のシルエットも見え始めました。車は高速道路を下りて、鹿児島市内へと入りました。ここまで鳥取から800km以上。最初は長旅に子どもたちが耐えるのか、また運転をする私と高橋リーダーが疲れないか心配しましたが、全員元気に鹿児島に到着することができました。

 しかし、ここでまたハプニング発生。カーナビの目的地設定を私が間違えていて、まったく違う漁港のようなところに到着してしまいました。あわてて設定し直し、フェリー乗り場に到着しました。フェリーの自動発券機で人間が乗る分は買えましたが、自動車は窓口でないと買えないようだったので、7時40分に窓口が開くのを待ちました。すぐ窓口が開き、受付に行くと「予約はありますか?」と聞かれたので「ありません」と答えました。すると「もう予約でいっぱいです。キャンセル待ちの手続きをしてください」と言われました。すぐに車両受付へ行きましたが、「予約がない」というと職員の方が暗い顔に・・・。そして「じゃ、キャンセル待ち3番ですね」という返事! 以前にフェリー会社に問い合わせた時には「事前の予約はできません」と聞いていたので予約をしなかったのですが、どうもそれは人間の話で、自動車などを乗せる場合には事前の予約が必要だったのです! 「うわ〜、ここに来て種子島に渡れないかも・・・。3番目だし!」と不安になり、参加者全体にどんよりとした空気が流れました。一応、キャンセル待ちの手続きをしていると、あっけなくキャンセルが出て、フェリーに乗れることになりました。ほっと一安心するも束の間、「帰りの23日はもう予約でいっぱいなので、当日に種子島の受付でキャンセル待ちを申請してください」とのこと。不安を残したまま、フェリーは鹿児島港を出発したのでした。

 なんとかフェリーに乗り込むことができ、ほぼ徹夜で移動した疲れもあって、フェリーでの3時間半はほぼ爆睡! 子どもたちのほとんども途中で船酔いとなり、行きのフェリーではダウン者続出の状況となりました。しかし、天気は快晴! 桜島や開聞岳などもきれいに見ることができました。途中、桜島が大きな噴煙を上げました。噴煙はみるみる形を変え、まるで我々を見送ってくれるかのように見えました。フェリーはどんどんと大海原を進み、予定通り12時10分に種子島の西之表(にしのおもて)港に到着。夢に見た種子島上陸を果たしました!

桜島 開聞岳 種子島上陸を前に記念撮影


車は長谷公園に向け、ひた走る

 しかし、ロケット打ち上げまではあと2時間半しかありません。港からロケットの打ち上げを見学する「長谷公園」までは約1時間なので、港近くのコンビニで昼食を買いこんだら、すぐ車で出発をしました。当日の種子島の気温は10℃程度。数字だけみると寒そうなのですが、風の質が違いました。ちょうど小春日和のようなやわらかい風です。厚着をしていると、ちょっと汗ばむような感じでした。車は順調に走り続け、長谷公園に到着するとまだそれほど混雑はしておらず、心配していた車の駐車も問題なくできました。そして、さっそく場所取りに走りました。まだまだよく見える場所が残っていて、いい場所がゲットできました。この頃から雲が増え始め、太陽が陰ると少し肌寒いような感じでした。子どもたちは寒がって、自動車にこもって寒さをしのいでいました。
食事をしながら、優雅に打ち上げを待とうと思っていましたが、そんな気分にもなれません。ドキドキ・ワクワクしながら待つ1時間半はあっという間に過ぎました。打ち上げが近づくにつれ、雲はだんだん少なくなり、どんどん快晴になっていきました。

 長谷公園では南種子(みなみたね)町のみなさんがいろいろな準備をされていて、インターネットでのJAXA放送をスピーカーで流していましたので、今のロケットの状況がよくわかりました。打ち上げ時刻が近づいて来ると、だんだんと人も増え始め、後から来た人がどんどん前の隙間に入り込んできましたが、なんとかロケットを直接見ることができる位置をキープしました。


場所を陣取り、打ち上げを待つ 私たちの前の様子 私たちの後ろの様子



 そして、ついにカウントダウンが3分を切り、公園にも少し緊張が走り始めました。そして、気持ちが高ぶったのか、前のほうの人がたくさん立ち上がり始めましたが、後ろから「前の人、座って〜」という声が聞こえると、見学者のほとんどが座ってくれました。おかげでロケットが見える状態をキープできました。

 スピーカーから「10、9、8・・・」と聞こえ、みんながカウントダウンを声にしだした時、「5」のところでいきなりロケットが光と煙をあげ、音もなく空へと飛び出して行きました。ちょっと面食らったものの、どんどんとロケットは飛んでいきます。そして、かなり高くなった時、やっと音が聞こえてきました(長谷公園は打ち上げ場から約7q離れていますから、秒速340mの音は約20秒遅れて聞こえることになります。また、インターネットでのJAXA放送も5秒くらい遅れているということですね)。空気をゆらす低音の振動とバリバリという特有の音は、やはり現場でないと体験できないものです。快晴の天気にも恵まれ、ぐんぐん上昇していくロケットの姿をずーっと追うことができました。固体ロケットの分離まで見えるかと期待しましたが、さすがにその前にロケットは小さくなって見えなくなりました(ビデオで確認すると2分後に固体ロケットの燃焼が終わり、分離されたような感じが何となくわかります。そして、約3分間は目で見えていたようです)。あとにはロケットが残した水蒸気や煙のあとが残り、風に流されて印象的ならせん模様になりました。それを見た方が「まるで龍が天に昇るようだ」と言われ、まさにそんな感じでした。打ち上げを見ることができた団員たちも大満足。興奮さめやらぬうちに、参加者10人で記念撮影をおこないました。

長谷公園から超ズームして撮った「HU-Bロケット 2号機」 うぉ! 飛んだぁ〜!!
※この時、音はまったく聞こえません
見学者も大興奮!


ロケットをぐんぐん上昇する
※このあたりで音が聞こえ始めました
がんばって、超ズームで撮影


印象的なロケット雲を残し、宇宙へと飛び立った 打ち上げ見学後に記念撮影。みんな大感動!!


ロケット打ち上げ映像はこちら(14.7MB)

種子島のおいしい食事で大満足

 その後、買い出しをおこない、夕食を食べに南種子町の飲食店を何件かまわりましたが、どこも予約でいっぱい。そこで中種子町へ移動し、おいしい夕食をいただきました。おなかもいっぱいになり、宿泊する「南種子町自然の家」へ移動。予定より遅くなりましたが、管理人の方は快く迎えてくれました。空には冬の星たちが、美しく輝いていました。私は星がきれいな鳥取市佐治町でいつも星空を見上げていますが、種子島の星空は背景がひときわ黒いという感じでした。寝床を整え、シャワーをあびてから、カノープスを見に行きました。カノープスという星は冬の南の低いところに見える星で、別名「南極老人星」と呼ばれています。この星を見ると長生きすることができると言われている星なのです。鳥取から見ると、真南に来て一番高く昇った時で高さは約2度。手を伸ばして見たひとさし指の幅が約1度です。地平線から指2本分の高さしか昇らない、とても見づらい星なのです。しかし、ここは種子島。鳥取より約5度も緯度が低いので、カノープスは高さ7度まで昇ります。つまり、簡単に見つけることができるのです。こんなチャンスはなかなかありません。湯ざめしないよう厚着をして、カノープスが見えそうな見晴らしの良いところに行きました。案の定、カノープスはすぐに見つかりました。何人かが撮影にチャレンジしましたが、やはりコンパクトデジカメではなかなか写すことが難しかったようです。宿舎に戻ると、みんなで乾杯をして、22時半くらいで解散しました。

 翌23日(日)朝6時過ぎ、こうのとり2号機が目指す国際宇宙ステーションが見えるということで、早起きをしました。昨日同様、金星がさそり座のアンタレスとともにきれいに輝いていました。すると、南西方向から宇宙ステーションが見え始め、金星の上のほうを通過していきました。こうのとり2号機が近くにいないか探しましたが、5分たっても現れなかったので、残念ながらあきらめました。ついでにカノープスとは逆に、鳥取より5度低く見える北極星の撮影もしました。





カノープス(矢印の星)も楽々見える! 早朝、国際宇宙ステーションも見えた!
(真ん中近くの明るい星は金星)


島間港で見つけた伊能忠敬の記念碑

 そんなこんなで星も堪能した一夜でしたが、次なる問題は帰りのフェリーに乗れるかです。7時過ぎにフェリー乗り場に電話すると、窓口は7時から開いているとのこと。急いで窓口へ行き、キャンセル待ち1番をゲットしました。フェリーに乗るまでは、種子島宇宙科学館を見学する予定にしていましたが、途中に車のトラブルがあって種子島の島間(しまま)港近くをぶらぶらしました。岸壁にはカラフルな魚がいたり、伊能忠敬が1812年に屋久島からこの港に上陸し、種子島を測量したという記念碑があったり、いろんな発見がありました。こういう偶然も旅の楽しみですね。

 種子島宇宙科学館はまたのお楽しみということで、お土産をゲットし、種子島宇宙センター敷地内にある記念撮影用ロケットの前で写真を撮って、フェリー乗り場に向かいました。その途中、フェリー会社からキャンセルがありフェリーに乗れるという連絡もあって、いよいよ種子島を出発することが決まりました。心のどこかではフェリーに乗れなければ、種子島にもう1泊できるという思いもあったので、ちょっと寂しい気もしましたが、ぜったいにまた来るぞと心に誓い、手続きをして車をフェリーに乗せました。

フェリーわかさ

 あっという間に14時のフェリー出航となり、種子島を後にしました。子どもたちは「さようなら、種子島〜!」と叫んでいました。その後はいつもの爆睡で、3時間半の航海の3時間は寝ていました。しかし、子どもたちはトランプなどをして、船酔いをする子もなく、元気に過ごしたようです。17時半に鹿児島上陸後、今夜宿泊する福岡県門司市を目指しました。途中ご飯を食べて、門司のホテルについたのは23時頃。すっかりと遅くなりましたが、子どもたちが元気なので救われました。ホテルでは高橋リーダーと語り合い、寝たのは午前3時になってしまいました。

 翌日はせっかくなので門司にある九州鉄道記念館を見学し、予定通り出発しようとした時、子どもたちがミニ列車に

ミニ列車で想定外の3周!

乗りたいと言い出しました。どう見ても幼児か小学校低学年向けというものでしたが、3人ずつ全員が乗り、合計3周もしてしまいました。スタッフのお姉さんもちょっと苦笑いという感じです。

 予定を少し遅れて門司を出発。中国自動車道の一部には冬用タイヤ規制が出ていましたが、まぁ大丈夫だろうと中国道で帰りました。途中、追い越し車線側に積雪があるところもありましたが、おかげで美しい雪景色も楽しめました。昨日は種子島で南風のやさしさを体験したのに、今日は真冬の銀世界。やっぱり日本は南北に長く、気候がずいぶんと違うんだなぁと実感しました。

 私の組んだスケジュールに余裕がなく、三好さんが乗るバスの時刻が迫ってきました。ここでもまたまた高橋リーダーの活躍により、バス出発の30分前に津山駅に到着できました。ここで三好さんとお別れし、今度は高橋さん家で3人とお別れ。だんだんと参加者が減っていくのは寂しくもありましたが、久しぶりに家に帰る楽しみもありました。予定より1時間遅れて、鳥取市内に到着。レンタカーを返し、家路につきました。

津山駅バスターミナルで最後の記念撮影


 今回の夢のような旅を振り返ると、何と言っても「ロケットの打ち上げが見られたこと」と「子どもたちが楽しそうだったこと」に尽きるかなと思います。そして今回の見学ツアーは、まさに高橋昌也リーダーなくしては実現できませんでした。いろいろなピンチも助けていただきました。また、YAC本部の小定さんをはじめ、スタッフの皆さんにもいろいろとお世話になりました。この場を借りて、お礼申し上げます。
 次の「ロケット打ち上げ見学ツアー 第2段」に、乞うご期待!!


高橋リーダーのブログ「ちっちゃい星に愛を詰め込んで!!!」に、この旅の詳しい報告があります


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